阪急南千里駅からバスで約15分、「紫金山公園前」で降りると住宅地のすぐ隣に小高い森が広がる。そこに鎮座するのが、吹田市岸部北の吉志部(きしべ)神社である。地域の歴史と自然、建築が重なり合うこの社は、地元の古さを今に伝えているとTOKK(トック)関西が伝えている。
吉志の里と瓦窯──ものづくりが育んだ土地
同紙によると、社名の「吉志」は古代に朝鮮半島から渡来した集団である「難波吉志」に由来する。宮司の奥田哲夫さんは、吉志が通訳や治水、土木、焼物など多様な技能を持っていたと説明している。なかでも焼物に携わった集団が堺付近からこの地へ移住し、良質の粘土や燃料となる木、運搬に適した川といった条件が揃っていたためここを選んだという。
社のすぐ下にある吉志部瓦窯跡ではこれまでの発掘で19基の瓦窯が確認され、ここで焼かれた瓦が平安京へ運ばれた記録が残る。さらに北の七尾瓦窯跡は奈良時代の後期難波宮の瓦を焼いた窯で、国指定の史跡として史跡公園に整備されていると報じられている。
水と森を守る信仰と地名の変遷
平安時代中頃、瓦の需要が衰え飢饉が続く中で人々は農業へと転換し、紫金山の裏手に大型のため池「釈迦ヶ池」を築いた。TOKKによれば、社は当初吉志一族の首長邸内に祀られていたが、この池の水と地域を守るために現在地へ遷されたと考えられている。奥田氏は「水は大事ですよね。日照りも怖いし、洪水も怖い」と話している(TOKK関西)。
また、地名と駅名の字が異なる経緯にも触れている。町名表示は「岸部北」で地名は「岸部」だが、JRの駅名は「岸辺」と表記される。奥田氏は戦後の昭和天皇の行幸に絡む事情から、読み間違いを避けるために字が変えられたと説明している(TOKK関西)。
七間社の本殿と文化財指定、焼失と復興
石段を上ると拝殿、その奥にある本殿は七間社という全国的にも珍しい形式で、社内に8柱の祭神を7つの神室に収める造りである。中央の室が広く、そこに天照皇大神と豊受大神が並ぶ構成だとTOKKは伝える。現在の社殿の形は慶長十五年(1610年)に整い、平成5年(1993年)には国の重要文化財に指定された。
しかし平成20年(2008年)5月、不審火により本殿が全焼した。TOKKは当時の状況とその後の復興についても報じている。監修には近畿大学の宗教建築学者が関わり、詳細な調査資料を基に施工は金剛組が担当。地域の崇敬者らの支援を受け、平成23年(2011年)には3年で再建を果たした。
現地を訪ねる際の見どころと保存の課題
現地の見どころは複数ある。紫金山の森と釈迦ヶ池、瓦窯跡群、そして七間社本殿だ。TOKKの報道を踏まえると、歩きながら当時の産業構造や信仰の移り変わりを実感できる点が魅力である。一方で、平成20年の焼失は文化財の脆弱性を改めて示した。再建後も保存と火災対策の重要性は変わらない。
- 所在地: 吹田市岸部北(TOKKによる)
- 主要史実: 吉志部瓦窯跡で19基の瓦窯確認(TOKK)
- 文化財指定: 本殿は平成5年に国の重要文化財(TOKK)
- 焼失と復興: 平成20年焼失、平成23年再建(TOKK)
「水は大事ですよね。日照りも怖いし、洪水も怖い。上手に雨が降ってくれるのが一番なわけです」――宮司・奥田哲夫(TOKK関西)
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 慶長15年(1610年) | 本殿の形が整う(TOKK) |
| 平成5年(1993年) | 国の重要文化財に指定(TOKK) |
| 平成20年(2008年) | 本殿が不審火で全焼(TOKK) |
| 平成23年(2011年) | 再建完了(TOKK) |
吉志部神社は、古代のものづくりと中世以降の農村共同体の営み、近代以降の都市化が交差する地点にある。住宅地の脇に残る千年余の森と、瓦を焼いた里の痕跡は、吹田の風土と文化を語る重要な資源である。現地を歩き、石段の先に立つ社殿を眺めれば、地域の時間の厚みが伝わってくるだろう。